雑誌フィガロ主催の試写会のシネマの休日で観た映画。
無知で間抜けな子供男と、大人になりきれない女の間に子供が生まれたところから物語が始まる。
主人公たちのあまりのバカっぷりに、胸糞が悪くなる。
実際途中で退席する客もいた。
その場の面白おかしさのために迷惑行為や犯罪に走る人や、理由も無く目的を見失った人になら共感できるだろうか。
バカな男に”自分がいなくてはだめなんだ”とハマる女性も共感できそうだ。
しかし、共感するだけでは救いがない。
ラストシーンでは主人公の男が救われたかのように見えるが、きっとまた繰り返すだけだとさめた気持ちになる。
自分の愚かさに気づくだけでは自分を変えることは出来ない。
無条件に自分を受け入れてくれる存在は必要だが、何でも許すだけの存在では意味がない。
富裕層と貧困層がはっきりと分かれている欧米。
この映画の主人公たちも貧困に生まれ、まともな教育を受ける機会が無く、社会に居場所を失い生きている。
日本にだって貧困はあるし、社会に居場所が無い人々もいる。
しかし、貧しくとも六畳一間にフェラーリに代表される分不相応な豊かさに隠され、社会に居場所が無くとも両親に寄生することで、内に奥に隠れてしまう。
当て所無くとも淡々と、人と関わり生きていく主人公達のほうが未来に希望があるかもしれない。
いつも同じサンドイッチを立ち食いし、インスタントコーヒーをガス湯沸かし器のお湯で入れる。
食事の貧しさは心の貧しさの象徴だ。
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