最後に訪れたのが西塔。
横川で無駄(失礼)に移動をしてしまったため足が棒のよう。
それでも一通りの建物を見てやろうとぐるりめぐってきました。
東塔よりこじんまりとしていますが、点在している感じで歩行距離はかなりの物になりました。
必ず履きなれた靴で行きましょう。
建物の外観や庭などは西塔が良かったですが
中に入ってゆっくり眺められる景色も仏像も無かったので
2番目な印象。
その他
2012/09/17
箕淵弁財天
弁天様の前まで行こうかとも思ったけれど、
鳥居から祠までの参道は青々とした緑の草で覆われていて
足を踏み入れていけないような気がして外から眺めるだけにしました。
法華堂
同じ形の建物が二つ並んでいます。
右側が法華堂。
常行堂
左側の常行堂も全く同じ形です。
通常非公開なのだそうですが、私が訪問した日はぞろぞろと大勢の人が中に入っていきました。
何か特別なツアーがあるのでしょうか?
二つの塔の渡り廊下
二つのお堂の渡り廊下に肩を入れて弁慶が担いだとの言い伝えから、にない堂(担い堂)と呼ばれるようになったそうです。
が、担げないでしょ。。。
お寺の伝説ってめちゃくちゃな内容のがあって面白い。
釈迦堂(転法輪堂)
にない堂からの長い階段を下っていくと大きな釈迦堂が見えてきます。
根本中堂もそうでしたが、大きな木が並ぶ石段を下ったところに現れる感じが良いです。
秀吉が文禄四年(1596年)に長等山園城寺の金堂を移築したそうで、延暦寺に現存する建築中最古のものだそうです。
恵亮堂
にない堂から釈迦堂に向かう階段の途中にあるお堂。
恵亮というお坊さんがご本尊の静かなお堂です。
西塔の鐘楼
東塔でも横川でも鳴らし放題な感じだった鐘楼ですが
西塔の鐘楼はひっそりとした石段を上った上にあり近寄りがたい感じ。
当然誰も鳴らす人はいませんでした。
瑠璃堂
バスが通る広い道路を渡った先、少し離れたところにある瑠璃堂は織田信長の比叡山焼討ちで唯一焼け残ったと言われているそうです。
が、室町時代の建築様式を持った建物とのことで、当時焼け残った建物が今もここにあるというわけではなさそうです。
相輪橖
何かの建物の上部飾りが残っているのかと思ったらこれ一つで完成系らしい。
中に写経が収められているのだそうです。
近くで見るとかなり細かな模様で飾られているようなのですがそうとは知らず遠くから写真を撮っただけですぐに歩き始めてしまいました。
六所社
林の中の小さな祠。
だけど伊勢社、山王社、八幡社、賀茂社、鹿嶋社、熱田社の6つの神様が祭られているそうです。
だからまとめて六所社。
椿堂
聖徳太子の開基と言われているそうですが、聖徳太子って飛鳥時代の人ですよね?
なんか眉唾って感じ。
だけど細い山道を下った先に現れるお堂の姿は美しいです。
浄土院への参道
西塔と東塔の間に立つ浄土院に向かう参道。
形が不ぞろいな大きな石灯篭が1対づつならんでいます。
浄土院
案内地図や公式ホームページでは歩く距離が近い西塔地域で紹介されていますが
所属は東塔地域なのだそうです。
白砂と緑の苔で飾られたお庭は延暦寺には珍しい景色。
これでじっくり坐って眺められれば言うことなしだったのだけれど座れる場所が無かったのが残念。
浄土院近くの石垣
石垣にびっしりとオレンジ色の苔のようなものがついています。
とても鮮やかな色。
藻の一種だそうです。
東塔に向かう階段
この階段を上っていくと東塔方面。
景色も良さそうです。
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基本情報
公式サイト |
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